プロダクト開発とアイデア信仰

先週の記事で紹介したスティーブ・ジョブズ氏のインタビュー。その中で彼は、パーソナルコンピューティングやオブジェクト指向開発だけでなく、ジョブズ哲学を総括するかのように実に様々な話題について自説を展開している。その中でも特に興味深いのが、プロダクト開発における「アイデア」の位置付けについての話だ。

この中で、インタビュアーはジョブズ氏に対して「プロダクト開発において重要なことは何か?」と聞く。ジョブズ氏はしばらく考えた後、そのインタビューの10年前、1985年に彼をアップルから追い出したジョン・スカリー(John Sculley)氏の話をする。

ジョブズ氏によれば、彼がアップルを去った後、スカリー氏は深刻な病に冒されていた。その病とは「素晴らしいアイデアを手に入れたら、それで90%の仕事が完了したと思い込む」ことだと言う。

しかし実際には、素晴らしいアイデアと素晴らしいプロダクトの間には気が遠くなるような craftmanship(職人芸)の集積がある。そのような集積を経て実現したプロダクトは、スタート地点のアイデアとはかなり異なるものになっている。その変化(発見)を可能とする数限りない試行錯誤、トレードオフにまつわる決断、このようなプロセスこそがプロダクト開発の魔法なのだとジョブズ氏は言う。

この気づきの有無は、この話の前に出てくる、marketing (or sales) people と product people の話題にも関係している。ジョン・スカリー氏はペプシコーラのプロモーションで大成功を納めた人物だ。この分野の人物が craftmanship やプロダクト開発の魔法を理解するのはなかなか難しいのではないかと想像できる。これら職能間の断絶は深く、2016年の今でも、プロダクト開発におけるアイデアの重要性について疑う人はそれほど多くないように見える。

ジョブズ氏のインタビューから15年以上経った2012年、似たようなことを主張している記事を見かけた。アメリカを拠点とするコンピュータ科学分野の国際学会 ACM(Association for Computing Machinery)の機関誌「Communications of the ACM」に掲載された「The idea idea」という記事である。

著者は、高名なコンピュータ科学者であるピーター・J・デニング(Peter J. Denning)氏。

デニング氏の問題意識は、現代の我々はアイデアの重要性を信じて努力を継続しているため、アイデアの獲得には苦労していないが、それを実際のイノベーションに繋げる段階になると極端に成功率が下がるのは何故なのか? ということであった。実際の成功率は4%ぐらいに過ぎないのだと言う。

彼は、イーサネットを発明したロバート・メトカーフ(Bob Metcalfe)氏が、コンセプトの発明にかけた労力よりも、それを普及させるのに費やした労力の方がはるかに大きかった経験を「花と雑草」にたとえた話を紹介し、重要なのはアイデアよりも実践の方なのではないかという仮説を展開している。

アイデアよりも前に、まず誰かによる実践があり、その実践に効果があると見た他の人たちがそれを真似する。しばらくするとその実践をより容易にするようなツールが開発され、その実践は更なる広がりを見せる。このようなプロセスを前提に考えると、「アイデアとは既に起こったイノベーションを説明するための後付けの理由」に過ぎなくなる。

デニング氏は記事の中で「氷山の一角」というアナロジーを紹介している。プロジェクト全体の中でアイデアというのは氷山の一角に過ぎず、海中に沈んでいる多くの部分がイノベーションにとって重要な実践の部分に当たる。そして、実践を継続することでアイデアの部分が氷山として浮き続けることが出来る。一方、盲目的にアイデアの重要性を信じてアイデアの獲得にコストを費やすと、このバランスが崩れてイノベーションの実現は難しくなる。

この記事が出てきた文脈には、ソフトウェア開発の世界で第一段階目の成熟を迎えつつあったアジャイルの影響があったと思われる。スティーブ・ジョブズ氏は、1995年の段階でその核心に到達していた数少ないビジネス界の人物だったと言えるのかもしれない。

このような考え方は、さらにクリエイティブな領域に行くとそれほど珍しい話ではなくなる。世界的な小説家であるスティーヴン・キング(Stephen King)氏は、彼の作家人生を記した自伝的著書「On Writing: A Memoir of the Craft」の中で、自身の興味深い小説技法について説明している。

on-writing

彼は「プロット」を信じていないという。プロットは小説における設計書のようなものだ。

I distrust plot for two reasons: first, because our lives are largely plotless, even when you add in all our reasonable precautions and careful planning; and second, because I believe plotting and the spontaneity of real creation aren’t compatible … I want you to understand that my basic belief about the making of stories is that they pretty much make themselves. The job of the writer is to give them a place to grow (and to transcribe them, of course). (p.159)

我々の人生にはそもそもプロットがないこと、そして真のクリエイションに備わっている spontaneity(自発性)とプロット(計画)はそもそも相性が悪いこと。そして、キング氏によれば、ストーリーは、適切な場を与えさえすれば自然発生的に育つものだと言う。

I told the interviewer (Mark Singer) that I believed stories are found things, like fossils in the ground, he said that he didn’t believe me. I replied that that was fine, as long as he believed that I believe it. And I do. … Stories are relics, part of an undiscovered preexisting world. The writer’s job is to use the tools in his or her toolbox to get as much of each one out of the ground intact as possible. (p.160)

キング氏は、ストーリーは発見するものだと考えている。地中に埋まっている化石のように。それは遠い昔に存在した、未だ発見されてない世界の遺品のようなものである。そして作家の仕事は、自分が持てる道具を駆使してそれらの遺品を出来るだけ無傷で掘り起こすことだと言う。

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