アウトライナーの新しい形を考える

アウトライナーというソフトウェアがある。

アウトライナーはその名が表す通り、情報のアウトライン(輪郭)を作るためのソフトウェアである。情報のアウトラインを作るというのは、別の分野の言葉で言い換えれば、知識や考えの「デッサン」をすることに相当するだろうか。考えを文章として精密に表現する前に、その論の構造だけを抜き出して、全体として筋が通るような組み立てを考える。

そもそもどのようなときに考えのデッサンをする必要性に迫られるのかを考えてみると、比較的込み入ったことを考えたり、あるいは、ある程度ボリュームのある論理的な文章を書いたりするときなど、頭の中だけでは容易に解決できないような複雑な問題に取り組むときに限られるだろうし、そう考えると日常的にアウトライナーを利用している人はそれほど多くないのかもしれない。

それでも、日常生活の中でちょっとした考えをまとめたり、あるいは何か記録しておきたい事柄があった場合に、何らかのツール(紙のノートでも、パソコンやスマホでも)を使ってそれらを「箇条書き」にするという経験は誰にでもあるのではないだろうか。

あるいは、単に箇条書きにするだけではなく、字下げなどをして項目に階層を持たせて、もう一段深い掘り下げを行なっている人も少なくないのかもしれない。その階層構造の導入がいわゆるアウトラインを作ることに他ならない。

字下げをして階層を作れるなら、アウトライナーなんて専用のソフトウェアは必要ないのではと思われるかもしれない。アウトライナーの強みは情報の構造を構造として扱えることにある。例えば、同じ階層にある項目を並び替えたり、ある項目を配下の階層ごと別の場所に移動したり、階層の中を上下に移動させたりなど、構造自体の操作を容易にしてくれる。あるいは、その構造を眺めるときに、ある項目にフォーカスしたり、その場では不要な項目を折り畳んで隠したりと、情報の見え方も柔軟にカスマイズできる。

筆者が地道に開発を続けている Cotoami も、ジャンルとしてはアウトライナーに近いソフトウェアである。Cotoami 以外にもそのようなソフトウェアを以前から作っていて、自分でもそれらを日常的に使ってきたので、アウトライナーというソフトウェアの存在は知っていても、実際にそれを利用したことはなかった。

筆者がアウトライナーに抱いていたイメージは、扱う構造がツリー(階層)であるがゆえに、表現できる情報は、ある時点、ある視点からの知識のスナップショットに過ぎないということだった。ツリーというのは一次元の構造である。あるノードは必ず一つのノードに所属し、文脈は一意に固定される。

最終的なアウトプットとしては当然スナップショットにならざるを得ないにしても、そこに至るまでの思考の過程においていくつかの文脈が入り乱れることもあるだろうし、そのようなものを表現できる思考のツールが必要ではないかと考えたのだ。

しかし、ある時『アウトライン・プロセッシング入門』という本にたまたま出会って、それを読んでみたところ、まさに自分が抱いていたような懸念に言及した上で、本来あるべきアウトライナーの利用方法が語られていて、アウトライナーを利用していても結局はそこに辿り着くのだと分かって大きな感銘を受けた。

例えば、アウトライナーでは、最上位の項目(テーマ)からスタートして、下位の項目に向かって徐々に内容を詳細化していく、いわゆるトップダウンのアプローチでアウトラインを作っていくのではないかという先入観があるが(これは同じツリー構造を利用したマインドマップでも同様)、

実践的なアウトライン・プロセッシングは、トップダウンとボトムアップを相互に行き来する形で行われます。トップダウンでの成果とボトムアップでの成果を相互にフィードバックすることで、ランダムに浮かんでくるアイデアや思考の断片を全体の中に位置づけ、統合していきます。 私はこのプロセスを「シェイク」と呼んでいます。行ったり来たりしながら「揺さぶる」からです。 – 『アウトライン・プロセッシング入門

という感じで、実際には「トップダウンとボトムアップを相互に行き来する」ことで、アウトラインを作る過程で新たに発見した知見を構造に反映していくという、より発見的なアプローチが推奨されている。

「トップダウンとボトムアップを相互に行き来する」という考え方については、Cotoami も全くその通りなのだが、アウトライナーとの違いをあえて挙げるとすれば、Cotoami では基本にランダムな入力があって、そこから構造を組み立てていくという、どちらかと言えばボトムアップに焦点を置いたデザインになっているところだろうか。

Cotoami では、全ての情報がフラットに表示されるタイムライン(複数人で利用する場合はチャットして機能する)と、組み立てられた構造を見せるドキュメントビューやグラフビューが分かれていて、片方はフロー、もう片方はストックという感じで、これらを相互に行き来しながら、構造を何重にも組み立てていくという仕組みになっている。

例えば、ある項目(Cotoami では「コト」と呼んでいる)は、複数の文脈に同時に関係しているかもしれないが、ツリー構造ではそれを表現することができない。そこで、関係をもっと自由に作ることのできるネットワーク構造を導入して、Aという文脈におけるX、Bという文脈におけるX、という感じで同じ情報を複数の視点から見れるようになっている。先ほど、アウトライナーはスナップショット的だと書いたが、アウトライナーと異なる構造を採用している Cotoami はデータベース的なソフトウェアだと言えるかもしれない。

興味深いことに『アウトライン・プロセッシング入門』では、ツリー構造とネットワーク構造の対立についても言及されている。

アウトライナーで扱う「生きたアウトライン」は、見た目はツリーでも通常のツリーよりずっと複雑な内容を扱うことができます。なぜならそれは「流動的なツリー」だからです。それは常に変化する可能性をはらんだ「プロセス」であり、完成品ではありません。

確かにアウトライン上では、ある記述は「A」と「B」どちらかにしか分類できません。しかしアウトライナーに入っている限り、それはある記述が「A」と「B」のどちらに含まれるべきかという思考プロセスの、最新のスナップショットにすぎません。今「A」に分類されている内容が、次の瞬間には「B」に再分類される可能性を常にはらんでいます。見た目上「A」に分類されているけれど、同時に「B」でもある可能性が常にある。それはもはや単純なツリーではありません。

そして重要なのは、アウトラインを最終的に完成品(たとえば文章)としてアウトプットするためには、いずれにしても「A」か「B」かを選ばなければならないということです。複雑なものを勇気を持って単純化しなければならない瞬間がくるのです。そのこと自体に思考を強制し、発動する効果があります。

実は発想と呼ばれるものの多くが、この強制的な単純化から生まれてくるのではないでしょうか。「文章にしたり人に説明したりするとその対象がよりよく理解できる」と言いますが、それは複雑で絡み合った情報を、単純なツリーやリニアな語りに強制的に変換しなければならないからです。その過程で情報は咀嚼され、自分の視点が確定します。アウトライナーで編集されるアウトラインは、「流動的なツリー」であることでそのプロセスを促すのです。

一方の網目構造では、複雑なものが複雑なまま存在できてしまいます。それは一見するといいことですが、ともすると素材が素材のままになってしまう可能性があります。

たとえば情報を保管し、必要に応じて引き出すということを第一義に考えれば、複雑な情報を複雑なまま扱える網目構造のほうが優れているかもしれません。しかし「文章を書き、考える」道具、つまり発想ツールとしてみた場合の有効性は、アウトライナー否定派がいうほど単純には決められないのです。

アウトライン・プロセッシング入門

アウトライナーで扱うのは「生きたアウトライン」であって、ある項目がどこかに所属するというのは、その瞬間のスナップショットに過ぎず、常に変わり得るということ、そして発想を具体化するためにはいずれにせよ「A」か「B」かを選ばなければならないということ、その強制的な単純化が発想にとって重要なのではないかということ、いずれも深く納得できる話で、Cotoami が採用するネットワーク構造(網目構造)に対して、説得力のある反論になっている。

実は、この本を通じて主張されている、「考えてから書く」のではなく、書きながら考えて、そこで発見したことを構造にフィードバックさせていくといったような発見的なやり方を踏まえていれば、アウトライナーでも Cotoami でも基本的にはそれほど違いはないと個人的には考えている。これはツールというよりもマインドセットの問題だからだ。

この問題はプログラミング言語における、オブジェクト指向と関数型の対立に似ている。世の中にはオブジェクト指向言語とか、関数型言語というカテゴリーでプログラミング言語が分類されることがあるが、それらのカテゴリーがプログラムデザインのマインドセットを決定するわけではない。オブジェクト指向言語で関数型プログラミングを実践することは可能であるし、同じように関数型言語でオブジェクト指向プログラミングを実践できる。

もちろん個々のツールがどういうアプローチに向いているかという傾向はある。アウトライナーがスナップショット的、Cotoami がデータベース的というのは、その傾向を表している。

ただ、Cotoami としては、現状のアウトライナーではなかなか難しいと思われるアプローチを可能にしていきたいところである。そうすることによって、知的生産の可能性を少しでも広げていきたい。そのためには『アウトライン・プロセッシング入門』で紹介されているアプローチの先にはどのような展開があり得るかということについて考えなければならない。

その一つの可能性が「コトノマ」というコンセプトである。

Cotoami のデータベースでは、アウトライナーの一つの項目に相当する「コト」という単位の情報が相互につながりを持って、単純なツリーではなく、自由なネットワークを構成できるようになっている。ネットワークが大きくなるにつれて、他より多くのつながりを持つコトが現れるだろう。そのようなコトは、参加者にとって重要なコンセプトを表している可能性が高い。そのコトを「コトノマ」に格上げすることによって、そのコンセプトについてさらに深く掘り下げることができるようになる。

そして、そのコンセプトについて掘り下げる過程でさらなるコンセプトの発見があり…という連鎖を Cotoami では期待している。

この機能は、アウトライナーの「フォーカス」という機能の発展形だと言えるかもしれない。

アウトライナーの持つ「文章の集合体」としての性質は、アウトライナーを開発する側でも必ずしも意識していない場合があるように感じます。 この点に自覚的なアウトライナーは、それをサポートする「フォーカス」という機能を持っています(アウトライナーによって「ズーム」「ホイスト」「巻き上げ」などとも呼ばれます)。ひと言でいうと、アウトラインの中の任意の項目を一時的に最上位階層として表示する機能です。他の項目は見えなくなるので、その項目に集中することができます。 – 『アウトライン・プロセッシング入門

コトノマは、そのテーマについての情報を集めるための専用のタイムラインを持つ他は、他のプレインなコトと同様に扱うことができる。ネットワークの中で重要なポイントを表すための特殊なコトだと言えるだろう。

ネットワークを育てる内に、その過程で発見した重要な事柄がコトノマとしてネットワーク状に結節点を作る。そのコトノマのリストは、ネットワークを育てた参加者の足跡であると同時に、外からデータベースを見るときの入り口としても機能する。

Cotoami の基本的な考え方で、アウトライナーと一線を画すのは、そもそもデータベース的なシステムだということもあるが、一人の人間がその全貌を掴めないぐらいの膨大なネットワークを作るというユースケースまで想定しているところだ。一人で利用するケースから、チーム、不特定多数のコラボレーションまで、あらゆる情報を蓄積して巨大なネットワークを作る。

そのときそのときに必要なアウトプットのために、スナップショット的なツリーを作ることはあっても、全体として綺麗に整理された状態を保つということにはこだわらない。かつて、野口悠紀雄氏が「「超」整理法」で書いていたように、探すための分類・整理は結果的に徒労に終わることになるし、整理は情報を既知のカテゴリーに収めることになって、むしろ新しい発見を遠ざける原因になってしまう。

「発想と呼ばれるものの多くが、この強制的な単純化から生まれてくる」という仮説が、確かにそうかもと思わせる一方、拙速な整理が、結局のところ既知のカテゴリーに立ち返ってしまう原因になるのではないかという予感もある。何か新しいことを発見するために、カテゴリーは結果として横断されなければならない。

そのために「コトノマの連鎖」というものが重要になってくるのではないかと考えている。投稿した情報を眺めていく過程で生まれたコンセプトをコトノマに変換し、そこからまた発見される隣接概念をまたコトノマ化する。そのような隣接概念の渡り歩きによって生まれるネットワークを可視化することによって、その足跡が結果として未知のカテゴリーを生むのではないかと期待している。

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