アウトライナーの新しい形を考える

アウトライナーというソフトウェアがある。

アウトライナーはその名が表す通り、情報のアウトライン(輪郭)を作るためのソフトウェアである。情報のアウトラインを作るというのは、別の分野の言葉で言い換えれば、知識や考えの「デッサン」をすることに相当するだろうか。考えを文章として精密に表現する前に、その論の構造だけを抜き出して、全体として筋が通るような組み立てを考える。

そもそもどのようなときに考えのデッサンをする必要性に迫られるのかを考えてみると、比較的込み入ったことを考えたり、あるいは、ある程度ボリュームのある論理的な文章を書いたりするときなど、頭の中だけでは容易に解決できないような複雑な問題に取り組むときに限られるだろうし、そう考えると日常的にアウトライナーを利用している人はそれほど多くないのかもしれない。

それでも、日常生活の中でちょっとした考えをまとめたり、あるいは何か記録しておきたい事柄があった場合に、何らかのツール(紙のノートでも、パソコンやスマホでも)を使ってそれらを「箇条書き」にするという経験は誰にでもあるのではないだろうか。

あるいは、単に箇条書きにするだけではなく、字下げなどをして項目に階層を持たせて、もう一段深い掘り下げを行なっている人も少なくないのかもしれない。その階層構造の導入がいわゆるアウトラインを作ることに他ならない。

字下げをして階層を作れるなら、アウトライナーなんて専用のソフトウェアは必要ないのではと思われるかもしれない。アウトライナーの強みは情報の構造を構造として扱えることにある。例えば、同じ階層にある項目を並び替えたり、ある項目を配下の階層ごと別の場所に移動したり、階層の中を上下に移動させたりなど、構造自体の操作を容易にしてくれる。あるいは、その構造を眺めるときに、ある項目にフォーカスしたり、その場では不要な項目を折り畳んで隠したりと、情報の見え方も柔軟にカスマイズできる。

筆者が地道に開発を続けている Cotoami も、ジャンルとしてはアウトライナーに近いソフトウェアである。Cotoami 以外にもそのようなソフトウェアを以前から作っていて、自分でもそれらを日常的に使ってきたので、アウトライナーというソフトウェアの存在は知っていても、実際にそれを利用したことはなかった。

筆者がアウトライナーに抱いていたイメージは、扱う構造がツリー(階層)であるがゆえに、表現できる情報は、ある時点、ある視点からの知識のスナップショットに過ぎないということだった。ツリーというのは一次元の構造である。あるノードは必ず一つのノードに所属し、文脈は一意に固定される。

最終的なアウトプットとしては当然スナップショットにならざるを得ないにしても、そこに至るまでの思考の過程においていくつかの文脈が入り乱れることもあるだろうし、そのようなものを表現できる思考のツールが必要ではないかと考えたのだ。

しかし、ある時『アウトライン・プロセッシング入門』という本にたまたま出会って、それを読んでみたところ、まさに自分が抱いていたような懸念に言及した上で、本来あるべきアウトライナーの利用方法が語られていて、アウトライナーを利用していても結局はそこに辿り着くのだと分かって大きな感銘を受けた。

例えば、アウトライナーでは、最上位の項目(テーマ)からスタートして、下位の項目に向かって徐々に内容を詳細化していく、いわゆるトップダウンのアプローチでアウトラインを作っていくのではないかという先入観があるが(これは同じツリー構造を利用したマインドマップでも同様)、

実践的なアウトライン・プロセッシングは、トップダウンとボトムアップを相互に行き来する形で行われます。トップダウンでの成果とボトムアップでの成果を相互にフィードバックすることで、ランダムに浮かんでくるアイデアや思考の断片を全体の中に位置づけ、統合していきます。 私はこのプロセスを「シェイク」と呼んでいます。行ったり来たりしながら「揺さぶる」からです。 – 『アウトライン・プロセッシング入門

という感じで、実際には「トップダウンとボトムアップを相互に行き来する」ことで、アウトラインを作る過程で新たに発見した知見を構造に反映していくという、より発見的なアプローチが推奨されている。

「トップダウンとボトムアップを相互に行き来する」という考え方については、Cotoami も全くその通りなのだが、アウトライナーとの違いをあえて挙げるとすれば、Cotoami では基本にランダムな入力があって、そこから構造を組み立てていくという、どちらかと言えばボトムアップに焦点を置いたデザインになっているところだろうか。

Cotoami では、全ての情報がフラットに表示されるタイムライン(複数人で利用する場合はチャットして機能する)と、組み立てられた構造を見せるドキュメントビューやグラフビューが分かれていて、片方はフロー、もう片方はストックという感じで、これらを相互に行き来しながら、構造を何重にも組み立てていくという仕組みになっている。

例えば、ある項目(Cotoami では「コト」と呼んでいる)は、複数の文脈に同時に関係しているかもしれないが、ツリー構造ではそれを表現することができない。そこで、関係をもっと自由に作ることのできるネットワーク構造を導入して、Aという文脈におけるX、Bという文脈におけるX、という感じで同じ情報を複数の視点から見れるようになっている。先ほど、アウトライナーはスナップショット的だと書いたが、アウトライナーと異なる構造を採用している Cotoami はデータベース的なソフトウェアだと言えるかもしれない。

興味深いことに『アウトライン・プロセッシング入門』では、ツリー構造とネットワーク構造の対立についても言及されている。

アウトライナーで扱う「生きたアウトライン」は、見た目はツリーでも通常のツリーよりずっと複雑な内容を扱うことができます。なぜならそれは「流動的なツリー」だからです。それは常に変化する可能性をはらんだ「プロセス」であり、完成品ではありません。

確かにアウトライン上では、ある記述は「A」と「B」どちらかにしか分類できません。しかしアウトライナーに入っている限り、それはある記述が「A」と「B」のどちらに含まれるべきかという思考プロセスの、最新のスナップショットにすぎません。今「A」に分類されている内容が、次の瞬間には「B」に再分類される可能性を常にはらんでいます。見た目上「A」に分類されているけれど、同時に「B」でもある可能性が常にある。それはもはや単純なツリーではありません。

そして重要なのは、アウトラインを最終的に完成品(たとえば文章)としてアウトプットするためには、いずれにしても「A」か「B」かを選ばなければならないということです。複雑なものを勇気を持って単純化しなければならない瞬間がくるのです。そのこと自体に思考を強制し、発動する効果があります。

実は発想と呼ばれるものの多くが、この強制的な単純化から生まれてくるのではないでしょうか。「文章にしたり人に説明したりするとその対象がよりよく理解できる」と言いますが、それは複雑で絡み合った情報を、単純なツリーやリニアな語りに強制的に変換しなければならないからです。その過程で情報は咀嚼され、自分の視点が確定します。アウトライナーで編集されるアウトラインは、「流動的なツリー」であることでそのプロセスを促すのです。

一方の網目構造では、複雑なものが複雑なまま存在できてしまいます。それは一見するといいことですが、ともすると素材が素材のままになってしまう可能性があります。

たとえば情報を保管し、必要に応じて引き出すということを第一義に考えれば、複雑な情報を複雑なまま扱える網目構造のほうが優れているかもしれません。しかし「文章を書き、考える」道具、つまり発想ツールとしてみた場合の有効性は、アウトライナー否定派がいうほど単純には決められないのです。

アウトライン・プロセッシング入門

アウトライナーで扱うのは「生きたアウトライン」であって、ある項目がどこかに所属するというのは、その瞬間のスナップショットに過ぎず、常に変わり得るということ、そして発想を具体化するためにはいずれにせよ「A」か「B」かを選ばなければならないということ、その強制的な単純化が発想にとって重要なのではないかということ、いずれも深く納得できる話で、Cotoami が採用するネットワーク構造(網目構造)に対して、説得力のある反論になっている。

実は、この本を通じて主張されている、「考えてから書く」のではなく、書きながら考えて、そこで発見したことを構造にフィードバックさせていくといったような発見的なやり方を踏まえていれば、アウトライナーでも Cotoami でも基本的にはそれほど違いはないと個人的には考えている。これはツールというよりもマインドセットの問題だからだ。

この問題はプログラミング言語における、オブジェクト指向と関数型の対立に似ている。世の中にはオブジェクト指向言語とか、関数型言語というカテゴリーでプログラミング言語が分類されることがあるが、それらのカテゴリーがプログラムデザインのマインドセットを決定するわけではない。オブジェクト指向言語で関数型プログラミングを実践することは可能であるし、同じように関数型言語でオブジェクト指向プログラミングを実践できる。

もちろん個々のツールがどういうアプローチに向いているかという傾向はある。アウトライナーがスナップショット的、Cotoami がデータベース的というのは、その傾向を表している。

ただ、Cotoami としては、現状のアウトライナーではなかなか難しいと思われるアプローチを可能にしていきたいところである。そうすることによって、知的生産の可能性を少しでも広げていきたい。そのためには『アウトライン・プロセッシング入門』で紹介されているアプローチの先にはどのような展開があり得るかということについて考えなければならない。

その一つの可能性が「コトノマ」というコンセプトである。

Cotoami のデータベースでは、アウトライナーの一つの項目に相当する「コト」という単位の情報が相互につながりを持って、単純なツリーではなく、自由なネットワークを構成できるようになっている。ネットワークが大きくなるにつれて、他より多くのつながりを持つコトが現れるだろう。そのようなコトは、参加者にとって重要なコンセプトを表している可能性が高い。そのコトを「コトノマ」に格上げすることによって、そのコンセプトについてさらに深く掘り下げることができるようになる。

そして、そのコンセプトについて掘り下げる過程でさらなるコンセプトの発見があり…という連鎖を Cotoami では期待している。

この機能は、アウトライナーの「フォーカス」という機能の発展形だと言えるかもしれない。

アウトライナーの持つ「文章の集合体」としての性質は、アウトライナーを開発する側でも必ずしも意識していない場合があるように感じます。 この点に自覚的なアウトライナーは、それをサポートする「フォーカス」という機能を持っています(アウトライナーによって「ズーム」「ホイスト」「巻き上げ」などとも呼ばれます)。ひと言でいうと、アウトラインの中の任意の項目を一時的に最上位階層として表示する機能です。他の項目は見えなくなるので、その項目に集中することができます。 – 『アウトライン・プロセッシング入門

コトノマは、そのテーマについての情報を集めるための専用のタイムラインを持つ他は、他のプレインなコトと同様に扱うことができる。ネットワークの中で重要なポイントを表すための特殊なコトだと言えるだろう。

ネットワークを育てる内に、その過程で発見した重要な事柄がコトノマとしてネットワーク状に結節点を作る。そのコトノマのリストは、ネットワークを育てた参加者の足跡であると同時に、外からデータベースを見るときの入り口としても機能する。

Cotoami の基本的な考え方で、アウトライナーと一線を画すのは、そもそもデータベース的なシステムだということもあるが、一人の人間がその全貌を掴めないぐらいの膨大なネットワークを作るというユースケースまで想定しているところだ。一人で利用するケースから、チーム、不特定多数のコラボレーションまで、あらゆる情報を蓄積して巨大なネットワークを作る。

そのときそのときに必要なアウトプットのために、スナップショット的なツリーを作ることはあっても、全体として綺麗に整理された状態を保つということにはこだわらない。かつて、野口悠紀雄氏が「「超」整理法」で書いていたように、探すための分類・整理は結果的に徒労に終わることになるし、整理は情報を既知のカテゴリーに収めることになって、むしろ新しい発見を遠ざける原因になってしまう。

「発想と呼ばれるものの多くが、この強制的な単純化から生まれてくる」という仮説が、確かにそうかもと思わせる一方、拙速な整理が、結局のところ既知のカテゴリーに立ち返ってしまう原因になるのではないかという予感もある。何か新しいことを発見するために、カテゴリーは結果として横断されなければならない。

そのために「コトノマの連鎖」というものが重要になってくるのではないかと考えている。投稿した情報を眺めていく過程で生まれたコンセプトをコトノマに変換し、そこからまた発見される隣接概念をまたコトノマ化する。そのような隣接概念の渡り歩きによって生まれるネットワークを可視化することによって、その足跡が結果として未知のカテゴリーを生むのではないかと期待している。

何気ない会話からどうやってストックに耐え得る知識を引き出すか?

情報のフローとストックを同じシステムの中で循環させるという Cotoami の枠組みが、とりあえず一通り出来上がってきたので、実験しながら改善策を探るというフェーズに入っている。

公式の Cotoami サーバー https://cotoa.me では、公開でその実験を行なっているのだが、参加者がまだ少ないものの、会話の中からストックとなる情報を組み立てる過程が少しずつではあるが現れてきている。

その循環のプロセスは以下の通りである。

例えば、普通のチャットのように、タイムラインにただ投稿したものは構造のないフラットな、時系列の情報になる。これがいわゆるフローの状態だ。情報はどんどん流れていって、常に最新の情報だけを目にすることになる。

この常に流れていく一次元のタイムラインに、自然な形で構造を導入するとしたら、どのような方法があるだろうか? 最も簡単な方法は、既存の情報に対して reply(返信)をすることである。reply によって、時系列の上に、文脈(話題)の構造が生まれる。

この仕組みは全く新しいものではなく、2chの安価やツリー型の掲示板など、Webの黎明期からあちこちで利用されている。ただし、その構造を見せる方法には色んなバリエーションがある。例えば Cotoami では、タイムラインに複数の話題が混在していても個別に遡っていくことができる。

以下のように、PC上のブラウザであれば、reply の連鎖によって生まれたスレッドを同時に複数開いて比較することも出来る。

reply の次の段階では、タイムライン上で重要だと思うコト(Cotoamiでは個々の発言を「コト」と呼ぶ)を pin して、流れていかないように確保する。

普段通りにチャットする流れで、reply によって会話の繋がりを作るのは自然に行えるが、その発言の中で何を pin しておくかという判断は思ったよりも単純ではない。特に、気ままにチャットを楽しんでいるようなときは、そのようなアクションがあることさえ忘れてしまう。自発的な選択という行為は案外ハードルが高いし、会話に参加する人数が多くなるほど、何を選択するか、という問題の重みは大きくなる。

あるいは、UIのデザインでその障壁を下げることは可能かもしれない。例えば、”pin” ではなくて、”いいね” のような、会話の中で自然に行えるアクションにするとしたら、どのようなものがあるだろうか?(例えば「メモメモφ(・ω・`)」ボタン?)

pin で起点となる情報が出来たら、そこに has-a 関係となるようなコトを追加して構造を作っていく。

現状の Cotoami では、has-a 関係と reply の区別はなく、双方ともポストとポストの間にコネクションを作って辿れるようにする、という同じアクションである。将来的にはコネクションのタイプを指定できるようにしても面白いかもしれない。

そして、最後はコトのコトノマ(カテゴリー)化。Cotoami で最も重要なステップである。

「コトノマ」とはチャットの文脈で言えば、いわゆるチャットルームに相当するものである。コトをコトノマに変換することによって、その話題についての専用のチャット・タイムラインを用意でき、議論をさらに掘り下げることが出来る。と同時に、コトノマはコトと同じように扱えるので、相互に繋げたり、タイムラインにポストしたりすることも出来る。

Cotoami の最終的な目的は、このコトノマのネットワークを作ることである。そしてコトノマは、タイムラインでやり取りされている内容から自然に生まれてくるのが望ましい。そうなれば、出来上がったコトノマのリストは、参加者にとって(先入観からではない)自然に重要なコンセプトになるはずだというのが Cotoami の仮説である。

ここまでの流れを追うと、コトノマが出来上がっていく過程というのは、基本的には「連想」によって駆動されることになる。なので、あるテーマについて話しているときは、その隣接概念がコトノマの候補として上がってくるケースが多い。ただ、個人的にはこの連想だけだとつまらないと思っている。それとは少し違う方法でコンセプトの発見に誘導できないか、というのが今後の大きなテーマである。

チャットでウィキペディアをつくる

例えば、何か新しいことを始めようと思うと、どうしても「新しいことを始める」ためのフォーマットに乗っかってしまう。

これは、「やるぞ」っていう意気込みが強ければ強いほど、むしろそうなってしまったりするし、その何かをやろうという構えが、本当はもっと柔軟に考えられたかもしれない可能性を狭めることになったりしないだろうか?

例えば、新しいことを始めるぞということで、いついつどこに集まってブレストでもやろうということになって、立派な会議室なんかを予約して、場合によっては上司や先輩、あるいはよく知らない人などが集まった空間で、本当に価値のあるアイデアが出たりするものなのだろうか?

それよりも、日頃たわいもなくしている雑談で、ふざけたりしながらいろんな話題を縦横無尽に移動する中で、「これってそもそもこういうことじゃない?」とか「これとこれを組み合わせたら面白そう」みたいな気づきから、自然にコンセプトが浮き上がってきて、それが結果として「ワタシたちの百科事典」になるような仕組みあったとしたら、それが本当に自分たちがやりたかったこと(必要だと思ったこと)の種になるんじゃないだろうか?

例えば、

みたいな会話が、

という感じで「煽り運転」というテーマに辿り着く。

さらに、そのテーマにつなげる形で、あちこちで見つけてきた情報を投稿していく。

このテーマについて、もっと深く掘り下げる場所を作っておきたいということであれば、

みたいな感じで、発言内容から新しいチャットルーム(ここではコトノマと呼んでいる)を作る。このコトノマが、会話に参加している人たちにとっての百科事典の項目になる。

さらに何日か経って、

ここで キラーン✧ とひらめくTakeo氏、

その勢いで新しいコトノマを作る。

これはあくまでも例なので内容については深く考えないで頂きたい。

「チャットでウィキペディアをつくる」ということの雰囲気は感じて頂けただろうか? こんな感じで、発想にリミットがかからない普段の会話からコンセプトをすくい上げて辞書化するというのが、Cotoami の一つの活用例である。

予めこういうことをやろうとか、こういう情報が必要だろうという予断を持つよりも、興味のまま、話を面白そうな方向へ転がす時に出てくるキーワードを拾い上げたり、それらの間にネットワークを作ったりすることによって、本当に自分たちが必要とするオリジナルなアイデアを生み出す。それが「チャットでウィキペディアをつくる」という実践である。

Cotoami コンセプト考: 発想を支援するツール

仕事の合間に Cotoami というシステムを開発している。

Cotoami は、それ以前に開発していた Oinker というシステムの後継に当たる。

これはこれで便利に使っていたのだけど(例えば、この「ゆびてく」の記事の多くは、一度 Oinker で素材を作ってから書いている)、どうしても身内に閉じてしまいがちなので、さらに色々な展開を望むならオープンに開発した方が良いのでは? という考えに至った。

そのような経緯で、Oinker をオープンソースとして一から作り直そう、ということで始めたのが Cotoami プロジェクトである。

2017年5月現在、完成にはまだ程遠い状態であるが、中途半端な状態でもとりあえずサービスとして公開して、興味を持って頂いた方々からのフィードバックを募っている。

断続的に開発して5ヶ月程経ったが、すでに Oinker とは大分異なるシステムになってきている。最終的にどのようなシステムにするかもぼんやりとしか決めておらず、思いついたアイデアを Twitter に投げて、それに対していろんな意見や提案を頂いて考え直したりと、そのようなプロセスを経て、最終的には当初の想像とは全く違うシステムが出来上がれば良いなと期待している。

現段階でぼんやりとしながらも頭の中にあるアイデアを、全て俎上に載せて、色々な方々からフィードバックを頂く機会を作れないかということでこの記事を書いている。とりあえず今回は第一回ということで、中心となりそうなコンセプトについて紹介してみたい。


Cotoami で何を作ろうとしているのか? 大きな括りで言えば「発想を支援するツール」ということになると思う。

ここで注意しないといけないのは、そもそもパーソナルコンピュータやインターネット、そしてWeb自体が「発想を支援するツール」になっているという事実である。そういう基盤がすでにある上に「発想を支援するツール」をわざわざ作る意味については常に考えておかないといけない。

パーソナルコンピューティングの主題は、コンピュータを使っていかに人間の能力を高めるか(「Amplify human reach」)ということであったが、これは言い換えれば「クリエイティビティ(創造性)」の追求である。 – 「オブジェクト指向とは何だったのか?」 

もっと具体的に言えば、パソコンやスマートフォンを買えば普通に付いてくるテキストエディタやその他の基本的なツール、こういったものを押しのけてまで必要なものになり得るのかという問いである。結局テキストエディタでいいんじゃない? とならないかどうか。テキストエディタは思っている以上に柔軟で強力である。

というわけで、まずは、最も単純なツールであるテキストエディタを出発点に考えてみたい。

テキストエディタで簡単に実現できないことは何か? それはコンテンツに構造を持たせることである。インデントなどを駆使して擬似的な構造を表現することはできる。しかしそれはあくまでも見た目上の構造である。構造を構造として扱うことはできない。

ここで一つ目の要件が出てくる。

要件 1) コンテンツに構造を持たせる

複雑な発想を表現するためには、コンテンツに構造を導入する必要がある。そのような構造をサポートするツールで普及しているものと言えば、最も基本的なところでファイルシステム(ファイルシステムを駆使すればテキストエディタでもある程度構造を扱えるようになる)、そしてアウトライナーやマインドマップ、さらには Web 上での共同作業を支援するあらゆるツールの基礎となっている WikiWikiWeb がある。

これらのツールが採用する構造のタイプに目を向けると、大体以下の二種類に分かれる。

  1. ツリー型: ファイルシステム、アウトライナー、マインドマップ
  2. ネットワーク型: WikiWikiWeb

ツリーとネットワークを比較した時に最も分かりやすい違いは、ある一つのコンテンツがたった一つの場所に所属するか、あるいは複数の場所に所属するかという違いである。ツリー型だと一つのコンテンツは一つの場所にしか所属させることができない。つまり、コンテンツの文脈は常に一つになるが、ネットワーク型だと一つのコンテンツを複数の文脈の中に配置することができる。

アウトライナーやマインドマップのようなツールは、一つのテーマ(文脈)を出発点に、そこから連想したり知識を細分化したりするのが基本になる。一つのテーマを俯瞰したり、まとめたりするのには便利なのだが、発想を広げようとするとツリー構造が制限になる。

ツリー型だと知識の俯瞰はしやすいが、本来の知識が持つ多様な文脈を表現できない。ネットワーク型だと知識の全体像を掴むのは難しくなるが、複数のテーマを横断するような知識の表現が可能になる。

Cotoami としては、「発想を広げる」という観点から、一つのコンテンツをいろんな文脈に置くことのできるネットワーク型を選択したい。

要件 2) コンテンツはネットワークを構成する

そして、ここまでに挙げたツールの多くが個人向けのツールである。より発想を広げたいと考えた時、やはり他の人と何らかの形で連携できた方が良さそうである。それも少人数で流動性の低いチームだけでなく、不特定多数の人とコラボレーションできればもっと発想は広がるだろう。

要件 3) 個人から、複数人のチーム、さらには不特定多数の人とのコラボレーションをサポートする

ここまでに挙げたツールの中で、これら三つの要件を満たすのは WikiWikiWeb だけである。この WikiWikiWeb が、Cotoami から見たときの重要な参照点になる。

WikiWikiWeb は、プロダクトそのものよりも、コンセプト自体が永遠に生き残るような「発想を支援するツール」の傑作だと思う。Cotoami としても、結果としてそのようなコンセプトを残せればと思うのだけど、それはちょっと高望みし過ぎかもしれない。

さて、「発想を支援する」という観点から考えた場合、この WikiWikiWeb に足りないものは何だろうか?

それは、どんな小さなアイデアでも気軽に投稿できるような仕組みがない、ということではないだろうか。

思いついたことを気軽に書き込める Inbox 的な Wiki ページを用意すれば良いのではないかと思われるかもしれない。しかし、Wiki の場合、一つのページ内に書き込まれた内容はテキストエディタと同様に見た目上の構造しか持たせることが出来ない。ページとして登録するにしても、思いつきの断片でわざわざページを作りたくないというケースも多いだろう。ユーザーインタフェース的な問題もあって、投稿障壁が最小限になっているとは言い難い部分もある。

発想の可能性を広げるためには、投稿障壁を最小限にして材料となる情報を出来るだけたくさん集めること、そして、どんな小さなアイデアでも構造の単位としてネットワークを構成できるように、そしてそれを柔軟に操作できるようにしたい。というわけで、以下の二つの要件が導き出される。

要件 4) どんな小さなアイデアでも気軽に投稿できる(投稿障壁を最小限にする)

要件 5) どんな小さなアイデアでも構造の単位となれる

Cotoami では、投稿障壁を最小限にするために、コンテンツの入力部分はチャットアプリと同じ形になっている。

Twitter が情報発信の障壁を劇的に下げて、それ以前までは考えられなかったような発言を利用者から引き出したように、情報の入力を Twitter や、さらに障壁が低いと考えられるチャットの形式にすることによって、どんな些細な情報でも発想の材料として利用できるようにしたい。

投稿障壁をチャットのレベルまで下げると、発想の材料としては使えないようなノイズも多く含まれるようになる。そこで、以下のような要件が出てくるだろう。

要件 6) ネットワークに参加させるコンテンツを取捨選択できる

さて、この辺からいよいよ Cotoami の核心に近づく。

チャット形式で入力されたアイデアは、思いつきで投稿されるため、その内容は比較的ランダムになりやすい。特に複数人で会話をしているようなケースだとそのような傾向が強くなるだろう。ある程度テーマを決めて話していても、その周辺となるような話題に足を踏み入れたりすることも少なくないはずである。あるいは個人で利用しているケースでも、思いついたことは何でも記録するという形で利用していれば、そこに様々なテーマが現れてくるはずだ。それらのテーマを事後的に発見して、構造を立ち上げていけるような仕組みが欲しい。

要件 7) コンテンツの中から事後的にテーマを発見して構造を立ち上げていける

ここが既存の発想支援ツールと一線を画すところだと言えるかもしれない。アウトライナー、マインドマップ、そして WikiWikiWeb も同様、基本的には「連想」をベースにした発想を支援するツールである。ツリーの場合、その連想はどちらかと言えば、上から下というように細分化する方向に向かう。ネットワークの場合は、より自由な連想を可能にするが、隣接する領域にしか発想が伸ばせないという意味では同じである。

ここで Cotoami として考えていることは、一見相互に関係ないと思われるコンテンツの中につながりを発見して、それを新しい発想の拠点とすることである。

具体的にどのように実現するか? 以下の図を見て欲しい。

まず、チャット形式で投稿される小さなコンテンツ、これを Cotoami では Coto(コト) と呼んでいる。その Coto は、Cotonoma(コトノマ) という、チャットルーム的な場所で投稿される。「Stage 1 – Posting to timeline」の部分は、まずは Cotonoma を作って、そこに Coto を投稿して行く(チャットする)という段階を表している。

そうして集めたランダムな Coto の中につながりを探して、そのつながりの中心となるような Coto を選び(あるいはつながりを表す名前を新たに Coto として投稿して)、そこから関係する Coto に向かってリンクを作成する。これが二段階目の「Stage 2 – Connecting」である。

そのようにつながりを作って行くと、Cotonoma の中にいくつものグループが出来上がってくる。そして、その中からこれは重要だと思えるものが出てくるはずである。その重要だと思われるグループの中心となっている Coto を Cotonoma に変換することによって、その新しく生まれたテーマを、専用の場所で掘り下げて行くことができる。これが「Stage 3 – Convert a category coto into a cotonoma」である。

その後はまた最初のステージに戻って同じ流れを繰り返して行く。このようにして生まれた Cotonoma(テーマ)のリストは、発想のプロセスを開始する前に想定していたものとは異なるものになっている可能性が高い。これを「発想」の肝として考えるのが Cotoami のコンセプトである。


というわけで、今回は Cotoami の中心となるコンセプトについて書いてみた。第一回ということで、比較的長い間維持されそうな核となるコンセプトに絞ったのだが、ツッコミどころは色々とありそうな予感もある。あるいは、これらのコンセプトからどのような展開があり得るのかということも開発を進める上で明らかになってくると思う。このような話題、あるいはツールに興味のある方は、是非是非 Cotoami プロジェクトをウォッチして頂いて、思いついたことがあったら何でも、Twitter やコメント欄などで気軽に話しかけて頂けたら幸いである。